エレン・ケイ


エレン・ケイ(1849~1926)

エレン・ケイの人生
①フェミニスト
 女性解放論者
②社会における伝統的な女性概念による束縛からの解放を唱えた。
➂日本の婦人運動 にも絶大な影響をもたらした。
エレン・ケイの経歴・業績

①( スウェーデン )の女性思想家
②母性と児童の尊重を基軸に社会問題を論じた。
③ルソーの影響を受け、( 児童中心主義 )を唱え、児童の自然な発達のために、学級・試験・教科・( 体罰 )の撤廃を唱えた。
④児童中心主義とは、教師主導、権威主義的な知識の詰め込み教育ではなく、子どもの( 個性 )や( 自主性 )を尊重する教育である。
⑤しかし、児童中心主義は、個人中心的すぎて社会的放任になるとの批判もある。(わがまま、自己中心的)
⑥ルソーの消極教育を徹底し( 新ルソー主義 )といわれた。 
⑦そのためには、名言「( 教育 )の最大の秘訣は( 教育 )しないことだ」という。
⑧「児童の世紀」では、「20世紀を( 子どもの世紀 )に」と訴えた。性や階級の差を越えて、すべての人に公共の( 小学校 )の実現を強調した。
⑨児童の世紀は、( 新教育 )運動のバイブルとなった。
 ・教師中心から( 子ども )中心へ
 ・ヘルバルト教育から( ペスタロッチ )教育へ
 ・書物中心から活動中心へ
⑩アメリカでは、( デューイ )( キルパトリック )、イタリアでは( モンテッソーリ )、ドイツでは( シュタイナー )に影響を与える。
⑪ 日本では( 八大教育 )主張の大正新教育運動に発展する。8人の教育学者のこと。
⑫( 八大教育 )主張とは、明治期の形式的注入教育を批判し、子どもの自主活動と自由な創造性を重視した。
  成城学園、成蹊学園などの学校も作られた。
⑭エレン・ケイの思想は、昭和26年5月5日に( 児童憲章 )として宣言された。この日を( こどもの日 )に定める。
⑮1989年国連で採択された「児童の権利に関する条約」( 子どもの権利条約 )につながっていった。

エレン・ケイの著書
「 児童の世紀 」
「 母性の復権 」

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