福沢諭吉


福沢諭吉(1835~1901)

福沢諭吉の人生
( 慶応義塾大学 )創始者
思想( 独立自尊 )
福沢諭吉の経歴・業績

①大阪にあった豊前国中津藩(大分県中津市)の蔵屋敷で生まれる。
②大阪の( 緒方洪庵 )の( 適塾 )で医学を学ぶ。しかし、学費を払う余裕はなかったので、父の蔵書や家財道具を売り、更に築城学の教科書を翻訳するという名目で適塾で学べることとなった。
③1858年(安政5年)、江戸の中津藩邸に開かれていた蘭学塾の講師となるために江戸へ出る。この蘭学塾が後の( 慶應義塾 )の基礎となったため、この年が慶應義塾創立の年とされている。
④1859年の冬、( 日米修好通商条約 )の批准交換のために使節団として渡米する。( 咸臨丸 )の指揮官は( 勝海舟 )。
⑤1860年、アメリカから帰国したが、同年、使節団を欧州各国へ派遣することとなり、福澤もこれに同行することとなった。
⑥ヨーロッパでは、病院や銀行、郵便法、徴兵令、選挙制度、議会制度などについて調査した。使節団などへの参加経験を通じて、福澤は日本に洋学の普及が必要であることを痛感する。帰国後、「 西洋事情 」を執筆する。    
⑦彼の思想は、戒名にも用いられた言葉が( 独立自尊 )である。
⑧「 学問のすゝめ 」は、17つのテーマからなる。合計約300万冊が売れたとの事である。当時とすれば大ヒットの一冊と言える。
⑨ 「学問のすゝめ」の「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」という一節はあまりに有名である。

福沢諭吉の著書

「 学問のすゝめ 」
「 西洋事情 」

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