「指導の限界」に直面したとき~暴力的・自己破壊的生徒への指導~
目次
1.鹿児島県教委が見せた勇気ある選択
2.非行問題への警鐘「4つの視点」
(1) インターネット方の非行の増加
(2) 「援助交際は自己決定」と説明する一部学者
(3) 子ども性善説の崩壊
3.暴力的・自己破壊的生徒への指導
(1) 生徒に向き合い、現実と対峙させる
(2) 生徒指導における危機加入のあり方
(3) ネットワークのコーディネート
(4) 少年院の更生プログラム
4.規範意識の復活を目指して
5.生徒指導の限界への挑戦
執筆日…1998年(平成10年)
1.鹿児島県教委が見せた勇気ある選択
平成10年10月6日、鹿児島県教委により日本の教育改革の第一歩が始まりました。
歴史的事実として本来に足跡を残すであろう[暴力のない開かれた学校づくりを目指して]鹿児島県出席停止措置等に関する検討委員会の報告(以下報告書)が発表された日です。
私は、この報告書を熱い思いで読みました。
この報告書は、小学校・中学校において、性行不良であって他の児童生徒の妨げがあると認められる児童生徒がいるとき、市町村教育委員会が、その保護者に対して、一定期間、児童生徒の出席停止を命じることができる、という出席停止措置の在り方について、具体的な運用指針を提示したのです。
報告書の一節に、この検討委員会のメンバーの痛切な葛藤を読み取ることができます。
問題行動を起こす児童生徒への教育的配慮が大切なことはもちろんですが、学校関係者は、ともすれば「教育的配慮」の内実を問わないまま、児童生徒への毅然たる対応を怠ってはいなかったでしょうか。そして、安全な環境で楽しく学びたいという多くの児童生徒の願いに背くことはなかったでしょうか。
2.非行問題への警鐘「4つの視点」
1997年度の公立の小・中・高校の暴力行為は29,000件で過去最多でした。今回のこの調査は校外と小学校を加えたため、件数は2.7倍となっています。中学校はそのうちの21,500件で、全体の74%を占め、依然指導が困難な状況を浮き彫りにしています。暴力行為ばかりでなく、非行問題を更に深刻化させる4つの視点を提示してみましょう。
(1) インターネット方の非行の増加
東京で援助交際が問題となったとき、ほぼ同じ時期に北海道では、札幌より先に道東の年でこの問題が表面化しました。中学校のいじめによる自殺、ナイフ事件、毒物混入事件など、似たような事件が全国で同時多発的に発生するのが今日の特徴です。東京や大阪を中心に同心円的に問題行動が発生するのではなく、インターネットのように全国一律に事件が発生する状況があります。
(2) 「援助交際は自己決定」と説明する一部学者
また、今日の非行問題に対して、一部の学者の新しい捉え方が問題です。本来ならば売春と呼ぶべき援助交際に対しても、自己決定権を優先する考え方があります。他者に暴力などの危害を加えているのではないからという考え方です。
大人に対しても自分を崩壊させるものには、自己決定権は存在しません。例えば、覚醒剤などはそのいい例です。まして、まだ保護者の対象でもある児童生徒に対しては当然のことで、自己決定権でこの問題を論じる学者に対しては、この問題を自分ごととは受け止めず他人事として理解している感があります。
(3) 子ども性善説の崩壊
もうひとつ大きな特徴は、証拠が十分揃っていても、非行現場を実際に取り押さえなければシラを切り通す生徒の増加です。
体育のマットに男子生徒が巻かれ、逆さ状態に放置されて死亡した事件はまだ記憶に新しいものですが、この事件では、最初は罪を認めていても、家庭裁判所での審判の途中から証拠がないと完全否認をし始めました。裁判の結果はともかく、この事件も一つの契機となり少年法の改正の議論が進んだことは言うまでもありません。
3.暴力的・自己破壊的生徒への指導
B君は注意地で飲酒喫煙、万引き、中にではバイク窃盗、暴行恐喝事件を頻繁に引き起こしていました。中三では金髪で、家出を頻繁に繰り返し、学校にはたまに登校する状態でした。書いて環境の悪化とともに、B君の非行問題はエスカレーションしていきます。相談係りの私は、B君と深くかかわっていきました。すぐかっとなり学校の壁などを壊すことが多く、他の生徒がB君がキレたら怖いと感じていたため、学級経営は極めて困難な状態になっていきました。
(1) 生徒に向き合い、現実と対峙させる
今日の非行問題は、我々大人が児童生徒を育ててきた結果なのではないでしょうか。ストレス悪玉説のように不愉快なことを排除するだけでは、何の解決にもなりません。自分が置かれている状況で、現実と対峙し乗り越える力を付けさせることが必要となります。生徒に対していたずらに寛容になることなく、一人の人間として真正面から現実と対峙させていくことが求められています。
長く中学校の生徒指導を担当していると、生徒の死に直面することがなどかあります。シンナー吸引中に川で溺死、盗難バイクによる交通事故死や両足切断、暴力事件による視力障害、覚せい剤使用による医療少年院送致など、人生そのものに対して取り返しのつかない犠牲を払ってしまう生徒がいます。どんなに非行を繰り返して親に迷惑をかけ、親も見捨てた状態になっても、わが子の死に対する親の悲しみには壮絶なものがあります。
葬式で号泣する親の前で、私は、どんなに生徒の非行問題で手がかかろうが、すべてを受け入れる覚悟を来ました。生徒指導に限界があってはいけないと、強く決意しました。
(2) 生徒指導における危機加入のあり方
暴行恐喝、バイク窃盗などは校内ばかりで処置せず、毅然たる態度で関係機関と連携を図る必要があります。
B君は、暴行恐喝とバイク窃盗が過激になっていきました。「バイクを取ったら警察(パトカー)を探すんだ」というB君に、「どうして」と私が聞くと、「警察が追っかけてくるのが楽しい、スリルがあって」と答えました。
私は、もうB君は交通事故などによる生命の危険の限界のところまで来ていると判断しました。私はB君への危機介入の必要性を強く保護者に訴えました。
B君は他の事件とも絡んで、家庭裁判所の審判が始まりました。家庭裁判所の調査官ともよく連携し、B君は鑑別所に三週間入所しました。この時点でB君の生命の危機を緊急回避することができました。
(3) ネットワークのコーディネート
生徒指導における教師の専門性とは何でしょうか。
医療における専門性が一つのモデルとなります。家庭医専門性は、自分の力量を認知していて、患者を抱え込むことなく、他の医療機関とのネットワークをコーディネートできることにあります。
これらを教師の生徒指導における専門性に置き換えるならば、校内のネットワークを十分に活用し、生徒の非行問題を抱え込むことなく、関係機関とのネットワークをコーディネートできることでしょう。
援助ネットワークは、児童相談所、福祉機関、医療機関、家庭裁判所、警察、弁護士や地域の教育資源までを含めたトータルなネットワークを意味しています。この中には、もちろん少年院、教護院なども含まれます。
B君は、家庭裁判所の審判で試験観察という処遇になりました。試験観察とは、少年が一週間に一、二度、担当の調査官の面接を受けるものです。試験観察中の当初は、比較的安定した時期がありましたが、母親の家出というショッキングな事件により、その安定が崩れてしまいました。B君はナイフによる暴行傷害事件を起こし、少年院への装置が決定しました。
(4) 少年院の更生プログラム
新入院時教育としては、自分を見つめ、自分の問題点を考えることに重点を置き、個別指導、内観、作文指導が行われています。特に内観については、考える→作文→面接を繰り返し、自分自身への気づきができるよう時間をかけてじっくり行われています。
中間期教育では、自分の問題点を掘り下げ、改善ために努力することが重点となります。問題群別指導、職業指導、教科指導、進路指導、性教育、内省、集会などの指導プログラムが準備されています。問題郡別指導とは、薬物などの具体的な問題を解決するアプローチになっています。
出院準備教育では、残された問題を各因子、出院後の心構えを確立することにねらいが置かれます。宿泊面接では、家族寮で親子の生活を体験し、院外委嘱教育では老人ホーム、工場などでの社会体験をし、出院準備がされています。
職員が「親にないものねだりをしてはだめだよ」とB君に話すことがあったと言います。また、B君は「学校にいたら、[わからない]っていうことが恥ずかしくて言えなかった」と漏らすことがあったそうです。このたった二つの短い言葉に彼の切ない思いが感じられ、身が引き締まる思いでした。人間には千差万別の環境があり、一人ひとりのその場、その時を真剣に自己表現し、生きているのを実感しました。
4.規範意識の復活を目指して
日本の規範意識はいったいどこへいったのでしょう。中央教育審議会の中間報告による日本・アメリカ・中国の高校生の規範意識の調査結果に愕然としたのは、私ひとりではなかったはずです。
「先生に反抗すること」や「親に反抗すること」は本人の自由でよいという考えは、日本はそれぞれ79.0%、84.7%と、アメリカ・中国のほぼ5倍でした。日本の道徳規範はいったいどこへいってしまったのでしょう。もう小手先の対応では追いつかないと考えられます。
その防止のためには、パターナリズム(父性原理)の必要性があります。物事を暖かく包み込む母性原理に対して、善悪の区別、社会の厳しさ、責任など、規範意識を創り出すのが父性原理ともいえます。家庭でのしつけの低下や一部学者の極端な意見、父親自信の父性原理の欠如、非行の広域的広がりと凶悪化などを考慮すると、新たなパターナリズムが必要不可欠となります。鹿児島県のこの報告書は、新たなパターナリズムとなり、生徒の規範意識を育て、社会化するものとなるでしょう。
学校教育法(第26条、第40条)で出席停止について述べられていますが、その措置について述べられていますが、その措置については地域間でまちまちであり、法令に基づかない自宅学習、自宅謹慎などがかなり見られたことから、昭和58年、文部省はこの適切な運用がなされるように「公立の小学校及び中学校における出席停止等の措置について」の通知を出しました。
そのなかで、出席停止に関する規定が設けられていない市町村は、市町村学校管理規則等において規定の整備がなされていません。中学校では21,500件(1997年)の暴力行為が発生しているのに、このような深刻な状況になりながらも、過去10年間の措置状態は、全国で年間平均50件程度の措置が講じられているのみです。パターナリズムとしての出席停止も必要であり、これが現実との対峙につながると考えています。
5.生徒指導の限界への挑戦
今年もB君からの年賀状が届きました。B君は少年院退院後、職業訓練校に入学し無事卒業。タイル工として働いています。
私は、少年院には何度となく面会に行きました。しかし、父親は一度も訪れることはなく、母親は最初と最後の二度来たとのことでした。年に数度、B君は私を訪ねてきてくれます。「先生、オレ、少年院に入ってよかったよ。いろいろ立ち止まって考えることができたから」と話してくれました。
どんな非行問題にも指導の限界はないと思います。そのためには、問題を抱え込むことなく、ネットワークをコーディネートすることが必要になってくるでしょう。
規範には、外的規範と内的規範があります。内的規範とは、自らが精神的に成熟していくと作られる規範です。外的規範とは、校則や法律、親や教師、社会が提示する価値などがあります。
中学生は、外的規範に対して特に反発します。しかし、成長していく上で外的規範から内的規範への転換が必要となってきます。
大人を含めて規範意識の崩壊が目立つ今日、教師は更に自らに磨きをかけて、この問題に直面していかなければならないでしょう。