非行を繰り返したA男との取り組み

 いじめやいじめを苦にした自殺、不登校がクローズアップされている中、本事例は、非行を繰り返すA男とのかかわりをまとめました。
 A男は、市内の中学校から2年生になって転校してきました。家庭環境は複雑で、兄は、少年院から退院し、現在は家に戻ってきていますが、非行を繰り返していました。
 A男は、兄の栄光もあって近隣の中学校では名前が知れ渡っており、喫煙、飲酒、暴力行為、万引き、窃盗、恐喝、深夜徘徊などをくり返し、中学1年生の後半から怠学で学校に来ていませんでした。兄が近くの家から自動車を窃盗し、その地区にはいられなくなり、転居し、私のクラスに転入してきました。
1 A男と母親への初期のかかわり
(1) A男は大切なクラスの仲間
 転校したにもかかわらず、当初は、前の学校に私服で顔を出したり、欠席が多く、登校しても遅刻、早退がほとんどでした。A男は、学校そのものに対して不信感があり、本当は転校したくなかったのに、兄のせいで転校せざるを得なかったこと、母親が相談をあまりせず勝手に転校を決めたことに不満を持っていました。
 担任の私としては、A男の学級への適応のために配慮していきました。学級での居場所づくりの手立てとして、クラス替えで学級が新しいメンバーになったので、学級開きとして学級の一体感を体験できるロールプレイを多く行いました。よく心の居場所づくりが大切であるといわれますが、空間的居場所、時間的居場所が、具体的にあることが心の居場所作りにつながると考えています。
 自己表出場面作りでは、部活動への入部を勧めましたがうまくいきませんでした。学校に対する不信感の克服では、先生方にほんの少しでも良いところを見つけてもらい、かかわりを多くもってもらいました。
 しかし、怠学傾向は改善されず、喫煙、飲酒、窃盗などの問題行動は相変わらず続きました。問題行動が起こった際の家庭訪問にも、母親は学校批判ばかりし、理解してもらえないことが多くありました。

(2) 親のつらさを受け止めて
 A男の母親は、兄の数々の窃盗事件の賠償責任ため、数百万円の多額の返済を抱えていました。A男を含め三人の子どもはみな非行をくり返し、母親自身もかなり疲れた日々を過ごしているように感じられました。
 
A男が窃盗事件を起こし、家庭訪問をしたときのことです。母親は、子どもの養育について、生徒指導担当者の私に厳しく言われると思っていたらしいのです。私は、親に指導やアドバイスをするというよりは、母親の話をよく聞くことを心がけて、今までの子育ての中のいろいろなつらい思いや気持ちを分かろうと努めました。そして、思わず「お母さんもいろいろつらいことがあったんですね」と話しました。すると母親がポロポロと泣いているのです。そんなことがあってから、母親は少しずつ私を信頼してくれるようになったと感じています。
 母親に対して今までの養育を責めても、何もいい方には進展しないと思います。母親自身、一生懸命に生きてきたことでしょう。ただ、問題に気付かなかっただけと思えば、教師の方も少し余裕が持てるのではないでしょうか。
(3) A男の家庭が動き出した
 母親との心の溝が解消されつつあるころ、家庭訪問をしました。母親は泊まりの多い仕事なので 泊まりを少なくできないものか、A男の家に転がり込んでいる20歳前後の無職の男性(姉の友人)にアパートを借りさせて独立させられないものかと相談しました。また、きちんと食事を作った方がよいこと、A男と話をする時間をもってほしいことなどをお願いしたことで、家庭にかなりの変化が現れてきました。
 欠席は少なくなりましたが、週三、四回は遅刻をしていました。また、喫煙、飲酒、深夜徘徊はありましたが、暴力行為、窃盗は減っていきました。A男への教育相談は、週1回のペースで行い、その中で、少しずつ喜びを感じていました。学校でも友達ができ、少しずつ存在感を実感できていたようです。

2 A男の成長を信じての学年の連携
(1) 学年の先生みんながA男と関わって
 A男の家族は情緒的な表現や交流が希薄であり、一体感や親密性に乏しく、そんな中でA男は大人への不信感を形成し、母親への不満を溜め込んでいるようでした。母親からの精神的な支えを十分に受けられず、その不安を問題行動へと振り向けているようでした。
 複雑な家庭で育ったA男には、教師集団の暖かい人間関係で包み込むことが必要と考えました。その中で親以外のいろいろな大人の存在や、将来の自己モデル形成の場として、先生方とのかかわりを大切にしました。暖かい雰囲気をかもし出しながら、よいことはよい、だめなことはだめだという、ごく当たり前なことを前提にしてかかわってもらいました。先生方には、A男に対する担任の指導方針を理解してもらい、学校全体の共通理解のもとでの対応を実践しました。

(2) A男の学級で社会的地位を高める
 2年生の1学期は、転校生ということもあり、学級でも気遣いがありましたが、2学期に入ると、遅刻も多く、非行問題も度々起こしていることで、学校内での地位も下がっていきました。そこで学校祭、球技大会や日常活動の中で、周りの者が認める役割をそれとなく与え、それを効果的にやり遂げるように励まし援助しました。
 先生方も、体育の授業ではサッカーの得意なA男に模範プレーをさせたり、美術では先生の援助を受けながらも、校内作品展に出展したりできました。いろいろな場面設定のおかげで、A男の学級の社会的地位の下降は食い止められ、やがては向上し始めました。それに伴いA男の学級での笑顔も多くなりました。3年生の球技大会では、3日前にある事件のために足を十針も縫うケガをしていました。担任にも学級の仲間にもそのことを知らせず、球技大会に出場していたのです。サッカーで本来ならフォワードのポジションなのですが急にキーパーをやり、A男の活躍でサッカーは準優勝しました。後でケガしていることに気付いたクラスの仲間と私は、表彰式にはA男を推薦し、足を引きずりながらも賞状を受け取るA男に、大きな柏手が贈られました。
 
3年生の後半はほとんど遅刻することもなくなり、学級生活も少しずつ意欲的に取りくめるようになりました。 A男の生活状態が比較的よくなったためか、母親も学校に協力的で、以前の学校批判ばかりをしていた面影は少なくなりました。最初は就職させると言っていたのですが、担任との進路相談を繰り返すうちに、A男の決めた高校への進学を認めるようになりました。
 しかし、兄が窃盗で警察から手配され、一時期はA男、母親ともに不安定な状況が続いたことがありました。その後兄が捕まり、再び少年院に入院したため、暴走族が家に集まらず、逆に落ち着いた家庭環境になっていきました。

(3) 担任として学級の中でのA男との関わり
 学級に問題を起こす生徒がいると、その生徒にばかり目が向き、他の生徒に対しては指導が十分できなくなったり、指事が全体的に甘くなったり、問題傾向を起こす生徒には甘く、他の生徒には厳しくなったりすることがあります。
 そんなとき、学級全体が一気にだらしなくなったり、乱れたりすることもあります。つまり、教師の指導に一貫性がなくなったり、教師の指導の矛盾点に生徒自身が気付いているからです。
 別の言い方をすれば、いつも問題行動を起こすA男に対して教師が毅然とした対応をすることにより、他の生徒が教師を信頼し、かえって善悪の区別、基本的生活習慣について再認識できると考えています。

(4) A男と心がふれあえたと感じた場面
 A男の前の学校での親しい友達は、ほとんど学校には行かず怠学を続け、髪を茶色に染め非行を繰り返していました。その友達関係はずっと続いていました。そのことが原因で、三年生の夏休みは転校前の学校間抗争に巻き込まれたり、前の学校の友達が窃盗した車に同乗して交通事故にあったり、暴走族からリンチを受けたり、いろいろな問題が多発しました。
 A男は、複数の生徒で起こした窃盗、万引、喫煙などに対して、決して自分以外のことは話しません。どんなに状況証拠があっても、「自分はしてしまったが、他の人のことは知らないし、見ていない」の一点ばりでした。私としては、そのようなA男の態度を受け止めることにしました。また、学年の先生方も同じ指事方針で対応してくれました。
 A男には、現実を認識していけるように援助が必要でした。一人の人間として真正面からぶつかっていき、いたずらに相手に寛容となることなく、現実性、責任感、善悪の区別を重視して接しました。A男との面接の場面でも、問題行動の責任をどうとるかという点に関しては、30分以上もの沈黙の場面が続くことが何回もあり、自己洞察を深めていったようです。

 ある日の面接のときです。複雑な家庭環境のこと、兄の窃盗事件の賠償金の暴力団による取り立ての話、夜いつも一人ぼっちで寂しかったことなどをポツリポツリと話してくれました。
「ツッパリで自慢だった兄を今は恨んでいる」と強い口調で涙ながらに言いました。A男の涙を見て思わず、私も涙ぐんでしまいました。そのとき、ようやくA男は担任としての私を受け入れてくれたように感じました。その後、A男は何か吹っ切れたように、問題行動を起こすことがありませんでした。

3 おわりに
 3年生の後半には、A男は前の学校の友人関係も、冷静にみることができるようになっていました。学校の行事などにも積極的に参加し、学校祭ではステージ発表に取りくみ、好評を得ました。ユーモアもあり、学級の人気者となり、また、人の気持ちもよくわかる生徒になっていました。その影には、学級の温かい雰囲気、一人ひとりを大切にする学級の仲間の姿勢があることを見逃してはならないでしょう。
 A男の所属していた学年は、1年生のときにはかなり問題行動や不登校がありましたが、徐々に減少していき、3年生のときにはあまり現象面では問題傾向が見られなくなっていました。A男を取り巻く集団の力、集団の雰囲気も立ち直りの大きな要因と思われます。
 当初A男は、高校進学の希望はなく、俗にいわれるフリーターになると言っていました。学級の一人ひとりに対する進路相談はかなりの時間をかけて行い、将来の自己像については、かなり自己洞察する機会を設定しています。そして、ついにA男は高校受験を決め、自己実現の一歩を歩み出しました。
 「丸い釘は丸い穴に」という言葉がありますが、A男は自動車整備士を目指してがんばりました。放課後、技術の先生に車のエンジンを実際に分解し、組み立ての作業を教えてもらったことが、進路決定のきっかけにもなりました。自らの自己選択、自己決定であり、意欲も高まり、学習にもがんばりが見られ、第一志望の高校に合格できました。
 この事例を通して、教育相談活動の有効性を改めて認識するとともに、教師一人の力は微々たるものですが、体制を組むこと(チーム支援)によって、より大きな力を発揮できることを実感しています。一人ひとりの生徒を理解しながらも手立てを協議(コンサルテーション)し、個々の教師の特性を生かした指導体制の推進を強く感じています。

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