欲求理論から、子どもとの「適切な距離」を考える
目次
1 子供の交流欲求と教師との距離感
(1)学級崩壊したA先生の子どもとの距離
(2)教室を飛び出す子どもに悩むB先生の子どもとの距離
2 子どもの承認欲求と教師との距離感
(1)承認欲求を満たす声かけ
(2)結果・努力・能力をほめる
3 愛着障害の子どもと教師との距離感
(1)愛着障害の二つのタイプ
(2)愛着障害の原因
(3)内的ワーキングモデルの書き換え
4 思春期の子供の心を揺さぶる距離感
筆者は中学校教師の経験がありますが、子供のことを考え、これがベストと考えた距離感で接しても、拒否されたり無視されたりすることがありました。10人の子供がいたら、10通りの距離感があると言ってもいいでしょう。教師は一人一人の子供を理解し、適切な距離感を察知する力が必要です。本稿では心理学の視点から、子供との適切な距離感について考えてみたいと思います。
1.子供の交流欲求と教師との距離感
かまってほしい暴走族の子どもたち。私の教え子に暴走族をしていた子がいました。彼らはバイクで暴走行為をしながらパトカーを探します。パトカーから逃げているのではありません。パトカーに追いかけられるのを楽しんでいるのです。そしてパトカーに追いかけられたとき、小さな路地に入れば逃げ切ることができるのに、ぎりぎりまで広い国道を走り続けます。「かまってほしい」という欲求は、強烈なものなのです。
(1)学級崩壊したA先生の子どもとの距離
ある小学校の校長先生から、相談を受けたことがありました。「A先生は、明るく元気で子どもからも人気があるのですが、学級崩壊をたびたび起こすことがあり心配しています」との相談でした。 A先生と直接お会いしましたが、素敵な先生で、どうして学級崩壊するのかそのときはわかりませんでした。しかし、授業を見せてもらい、学級崩壊する原因が想定できました。
トンプソン・Mの欲求理論の視点から解説します(図1)。トンプソンはマズローの欲求階層説に基づき、社会的欲求として「交流欲求」「承認欲求」「影響力欲求」の三つを指摘しています。基盤になるのが交流欲求で、誰かとある程度つながりが得られると、承認欲求が起こります。そして、ある程度、他の人から認められて承認欲求が満たされると、今度は他の人に働きかけ、影響を及ぼしたいという影響力欲求が起こるというわけです。
A先生は子どもの交流欲求の満たし方に問題があるように感じました。 授業で子どもが立ち歩きを始めたとき、A先生はその子どものところに行き「ちゃんと座っていないとダメなんですよ」と、とても優しく声をかけます。すると、別の子と、一番後ろの席の子の二人が立ち歩きを始めました。A先生は立ち歩いている子どものところに行き、同様に優しく接します。そのため、一向に授業が進みません。
子どもはA先生のことが大好きで、かまってほしい子どもたちばかりでした。子どもたちは、立ち歩くと先生が近くに来て優しくかまってくれることを無意識のうちに学習していて、立ち歩きを繰り返していたのです。「普通にしていると先生と交流できないけど、問題を起こせば交流できる」という構造では、子どもたちは交流欲求を満たすために、次々と問題行動を起こしてしまいます。では、どうすればよかったのでしょうか。
子どもが立ち歩きをしたときに交流欲求を満たすのではなく、子どもがしっかり授業に取り組んでいるときに交流欲求を満たすことが必要でした。「〇君はよく頑張っているね。先生が花マルを書いてあげるよ」「△子ちゃんもよく頑張っているね。花マルの他にシールも貼ってあげるよ」など、授業にしっかり取り組んでいるときに交流欲求を満たすことが肝要です。このようにして交流欲求を満たし、そして承認欲求も満たすかかわりをしていくことで、それが影響力欲求の土台になっていくわけです。
(2)教室を飛び出す子どもに悩むB先生の子どもとの距離
B先生の学級には、授業中に教室を飛び出す子がいます。B先生は一生懸命、その子を追っかけます。その子が捕まらないときは、他の先生も追っかけます。そして教室に入れようとしますが、またすぐに飛び出します。教室を飛びだすと先生が追っかけてきてくれて、交流欲求が満たさせるというゲームの構造になっているのです。
子どもは「交流を常に求めている」といえます。ですから、どういった状況で交流欲求を満たすかが重要です。24時間、365日、問題行動を起こしている子はいません。子どもの状態のいいときに、さりげないコミュニケーションで交流欲求を満たし、教師と子どもとの間に「適切な距離」を形成することが大切だと思います。
2.子どもの承認欲求と教師との距離
(1)承認欲求を満たす声かけ
自己有用感が低い子どもは、不安に押しつぶされそうになりながら生きています。友人関係がうまくいかなかったり、教室で居場所が見つからない場合もあります。そんな中で、信頼できる教師から「困ったことがあったら、いつでも相談においで」「つらかったね。話してくれてありがとう」「先生は、あなたのことを信じているよ」「そのままのあなたで大丈夫」という声かけがあると、交流欲求が満たされて子どもと教師の距離が埋められていくだけでなく、子どもの承認欲求も満たされていきます。
(2)結果・努力・能力をほめる
承認欲求を満たす声かけでは、結果・努力をほめるだけでは不十分です。結果・努力・能力の三つをほめることにより、承認欲求が満たされ、自己有用感が向上すると言われています。
例えば、いつも数学のテストが三〇点の子が八〇点とったときのほめ方は、以下のような感じになります。
「数学八〇点、よく頑張ったね」(結果)だけでは子どもはうれしくありません。「部活がある中で、よく毎日三〇分、数学のワークを頑張ったね」(努力)とほめ、さらに「方程式の文章問題もできるようになったんだね。すごい。君には数学の力があるよ」(能力)とほめるのです。
学習面以外でも、友達へのちょっとした気づかい、宿題を忘れないこと、掃除当番の丁寧さ、給食を毎日全部食べること、あいさつがいつもできること、部活を休まないことなど、できて当たり前のことであっても、常に三点を意識してほめていきます。そうすることで子どもの承認欲求は満たされ、教師と子どもとの距離が縮まっていきます。
3.愛着障害の子どもと教師との距離
(1)愛着障害の二つのタイプ
最近、愛着障害の子どもが気になります。愛着障害には「反応性愛着障害」と「脱抑制型愛着障害」の二つのタイプがあります。
●反応性愛着障害の特徴
①人に対して過度に警戒をする
②親と極端に距離をとる
③親に抱きついたり泣きついたりしない
④笑顔が見られず無表情なことが多い
●脱抑制型愛着障害の特徴
①過度になれなれしい。誰に対してもべったりくっつく
②自分に注目してほしいために乱暴な行為をする
③知らない大人に抱きつき、慰めを求めたりする
(2) 愛着障害の原因
乳幼児期に養育者と適切な愛着を形成できないと、情緒面や人格面などに問題が起きます。愛着障害の原因は、①養育者の愛情不足、②養育者のけんかを目の当たりにしていた、③養育者の死別・離別などによる愛着対象の喪失、④養育者からの虐待やネグレクト(育児放棄)、⑤養育者の大人が複数いて、養育者が頻繁に変わっていた、などがあると言われています。児童相談所での児童虐待相談対応件数(厚生労働省, 平成27年度)は、平成2年度1,101件、平成27年度103,260件で25年間で94倍に増加しています。このデータから愛着障害が増加していると予測されます。
(3) 内的ワークングモデルの書き換え
愛着障害の子どもへのかかわりとしては、内的ワーキングモデルの書き換えの必要性が指摘されています。内的ワーキングモデルとは、乳幼児期に形成される認知的枠組です。養育者との関係の中で構築されていき、依存対象や対人関係の土台になります。
虐待を受けた子どもは、自分が親になったときに虐待をする可能性が高くなると言われています。しかし、親から虐待を受けたにもかかわらず、適切な親になる人もいます。そのような人は、虐待をした親を反面教師ととらえていたり、内的ワークングモデルの書き換えがあったりしています。いい支援者やいい教師、いい伴侶との出会いにより、内的ワークングモデルの書き換えが起こり、人を信じる力や自尊心が芽生えていくのです。愛着障害の子どもに対しては、「いっぱい愛する心理的な距離」を教師が保つことで、内的ワーキングモデルの書き換えを促していきたいものです。
4.思春期の子供の心を揺さぶる距離感
カウンセリングには、①気持ち・感情を受け留める来談者中心療法。②考え方・思考の変化を促す論理療法。③行動の変化を促す行動療法があります(図2)。この3つの理論は繋がっています。例えば、気持ちが楽になれば考え方や行動も変わります。しかし、1番重要なことは「意味がわかる」(実存主義)ことです。「意味がわかる」と、行動も変わり、考え方も変わり、気持ちも楽になります。
「勉強をする意味」「働く意味」「いじめがダメな意味」を教えることが大切です。生徒指導で子供が改善しないのは、この意味が十分に伝わっていないためです。思春期の子供に意味を教えるには、発達段階を意識した声掛けが必要です。生徒「先生、どうしていじめちゃいけないの?」、教師「いじめをする人間はカッコ悪いんだよ。君にはかっこいい男(女)、いい男(女)になってほしい」。ここでポイントは「いい人」ではなく、「かっこいい男(女)」です。「かっこいい男、素敵な女はそんなことしない」の方が、思春期の心をゆさぶり揺り動かすことができる距離間の場合もあります。
私の教師時代の子どもとの距離感は、「子どもに裏切られてもトコトンかかわる」というものでした。 子どもたちの可能性を信じてかかわっていくことが、教師には必要なのではないでしょうか。