性的虐待を受けているB子の場合

 目次
1.なぜ、児童虐待防止法はできたのか ? 
2.「お父さんに変なことをされているの…」
3.秘密保持かチームプレイか
4.秘密保持が困難な場合
5.「癒し」から「救い」へ
6.その後のB子はどうなったか?

1.なぜ、児童虐待防止法はできたのか ?

 本事例は、「児童虐待の防止等に関する法律(2000年施行)」(通称 児童虐待防止法)がない時代の話です。私が中学校教師として、駆け出しの教員時代の話です。法整備もない時代に、学校は虐待の問題に対して、試行錯誤しながら対応していたのです。

 日本には、子供の福祉を守る法律として「児童福祉法」があります。しかし、「児童虐待の防止等に関する法律」ができる以前は、多くの国民が、虐待を発見したときには児童相談所等への通告の義務があることを知りませんでした。その当時の児童相談所は立ち入り調査には積極的ではありませんでした。虐待を受けた子供を守るために施設入所の家庭裁判所への申立ては、申立ての手続きのやり方が複雑で、承認が出るまで数ヶ月の時間を要しました。しかし、1990年代に入り、子供の虐待が社会問題化してきます。さらに、1994年に「子どもの権利条約」を批准し、子供の虐待の関心も高まりました。児童虐待防止法(通称)の、第二条に「児童虐待の定義」が初めて定められ、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4種類とされたのでした。

2.「お父さんに変なことをされているの…」

< 一回目の相談>
 授業の時、B子の左手の傷が気になり、担任に事情を話し、放課後、B子に相談室に来てもらいました。B子は、小学生のときに母親が再婚しました。中学では無断外泊したり、飲酒喫煙などがありましたが、素直な中3の生徒です。
 「その傷どうしたの?」とためらわずに聞いてみました。手には無数のカッターで傷つけた跡が残っていました。「何かあったの?」と聞くと、B子の目に涙が浮かんできました。B子は、小学生のときから義父に性的いたずらをされ、中学1年で強姦されたとポツポツと話し始めました。「もう自分は汚い存在だ。もうどうでもいい。死にたい」と泣きました。思えば、中学1年の後半に雰囲気が変わったのも、乱れた男女交際も、そこから出発していたようです。教育相談係として一体なにをやってきたんだと、自責の念がこみ上げてきました。相談を続けながら、B子の義父に対する怒りを引き出していきました。泣き叫び「あのやろう!馬鹿野郎!」と激しく叫び続けるB子に、「もっと叫んでごらん」と更に感情の表出を促しました。机を両手で激しく叩きつけながら、「死んでしまえ!」と魂の叫びとも感じ取られるような声。しばらくして、深い深呼吸をして、じっと目を閉じ沈黙するB子。「先生、なんかスッキリした」「もうカッターなんか使わないよ」とほっとすることを言ってくれました。

 それからも相談を継続しました。B子の今後の生き方と将来設計について話し合いました。問題は、この件を母親と担任にどう知らせるかです。今日また性的虐待を受ける可能性もあり、私は母親へ介入の必要性を伝えましたが、B子はどちらも強く拒否しました。今日は家族がいて危険はないと確認した上、私はそれを受け入れ、相談は終わり、明日また会う約束をしました。もし、B子が自殺をしたら、その責任は背負わなければなりません。そのために、クライエントとの面接内容を記録し、前述のような自殺防止の危機介入を図りました。

 日常では怒りやストレスを我慢することと教えられます。しかし、怒りやストレスはあって当然であることと、その解消方法を日頃から教える必要があると思います。本来なら友達との相談などで悩みが軽減されたりしますが、B子の場合は問題が深刻で誰にも相談できずに、自分自身を責め、自殺念慮にまで至っていました。そこで、感情の解放と現実への対応の二つの側面からの援助が必要でした。怒りの感情を引き出すことにより、怒りを体で体感し、言語化することによって、怒りの軽減がなされます。感情の解放プログラムもかなり開発されています。この事例のような場合は、怒りの感情を押し込めることは危険です。意図的にでも解放させることが必要と考えました。怒りがうちへ向かうと自殺や神経症レベルにまで達することも多いからです。カウンセラーは、クライエントの感情と事実に目を向けなければなりませんが、教師は、とかく感情よりも事実に重きを置きがちです。B子との面接では、いつ、どこで、どうしたという事実の把握より、感情に焦点を当てて行いました。

3.秘密保持かチームプレイか

   私は、担任と学年の先生、養護教諭、校長で会議をもちました。B子の環境はあまりにも危険だからです。相談を受け、秘密厳守という呪縛により、取り返しのつかないことになる可能性かがあります。この事実は私しか知らないという相互の秘密保持を徹底しました。担任、養護教諭は知らない立場をとり、側面からサポートしました。

<二回目の相談>
 B子は少しずつ明るさを取り戻してきました。B子がこの危険な状況をどのように解決したいのかを尊重しました。教師からの強引な解決方法ではなく、B子の心の動きにペースを合わせながらも、現状の打破を促していきました。「母親には言いたくない。でも、兄には相談する」ということになりました。これにより家族の問題としての方向づけが可能となりました。

<三回目の相談>
 「お兄ちゃん、ものすごく怒っていた。それでお母さんに言ったの。そしたら「あんたが悪い」とすごく怒られた。先生どうしたらいいの」「B子、つらかったね。先生がお母さんと話していいかな」。B子は納得し、母親と話すことにしました。

4.秘密保持が困難な場合

 カウンセリングでは秘密の保持が原則です。だからこそクライエントは悩みを打ち明け、面接より自己理解を深化させ、問題解決に至ります。しかし、私は、危機介入すべき問題は、カウンセラーのみで抱え込むべきではないと考えています。抱え込みは問題を悪化させ、手遅れにしてしまう場合すらあるからです。アメリカ心理学会の倫理網領には、「臨床あるいは相談の関係で得られた情報は、その事例とはっきりした関係をもっている専門家とのみ、専門的な場面においてのみ話し合われるべきである」と記載されています。

 例えば生徒が万引きしことを相談係のみで秘密を保持し、一人のかかわりで解決できたと考えたとします。しかし、またその生徒が万引きをして警察に捕まり、以前の万引きも発覚し、職員会議で問題になったとします。「同僚を信用できないのか」「抱え込みすぎだ」との批判が出てくるのはいうまでもありません。

 B子の場合は、教師間で守秘義務を守り、相談係しか知らないというかたちで対応しました。それでないと、すべての関係性が崩れ、失敗になります。家族への通知もB子が納得した上で本人に決定させることが重要でした。その際、教師サイドからの促しは必要です。B子の問題を家族の問題へとして方向づけ、家族内での解決をサポートしました。性的虐待の場合は、関係機関との連携も頭に入れますが、一方的な介入は問題を複雑にさせることがあります。しかし、生命の危険や逃亡のおそれがある場合は、早急に関係機関と連携をとり、保護することが必要です。

5.「癒し」から「救い」へ

 生徒が相談中に、喫煙、暴力行為、自殺念慮、いじめ、妊娠などの事実を自己開示する場合、その行為自体が教師に救いを求めている場合があります。その際、相談係りは自分の力量の範囲しか解決できないと考え、自己のできる範囲を見極めなければならいでしょう。相談は相談係りが行い、それを校内のネットワークが支えるかたちを私は基本としています。問題のつらさをわかってあげることは癒しにはなりますが、真の解決には至らない場合もあります。学校では、「癒し」を「救い」に発展させていくことが求められています。そのためには、常に新しい理論や技法を学ぶ必要があるでしょう。

6.その後のB子はどうなったか?

 B子の母親は、義父がB子に対して性的虐待をしていることを知っていました。では、なぜ、母親は性的虐待を止めなかったのでしょうか?義父は母親より10歳ほど年下の男性です。母親が義父に対して、B子への性的虐待を警察や学校に通報したり、問い詰めたりすると、若い義父は母親のもとを去って行くと思っていたのです。つまり、B子を利用して義父を繋ぎとめていたのです。今の言葉で言うと「毒親」です。

 その後、B子はどうなったと思いますか。現在、B子は2児の母親となり幸せな家庭を築いています。私はA子の結婚式のスピーチを担当しましたが、A子の幸せそうな笑顔を一生忘れないでしょう。どんな子供たちも幸せになる権利があります。私たち大人の使命だと考えています。

 今回の事例は、秘密保持のためいくつかの事例を複合させてまとめてあります。
 ご了承下さい。

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