親は子どもの応援団長

 トルストイは、『アンナ・カレーニナ』の中で、「幸福な家庭は一様に幸福に見える。しかし、不幸な家庭は様々に不幸である」と述べた。
 虐待で親が子を殺す、5080問題で子が親を殺す。最近、そんな凶悪事件を新聞やテレビのニュースで知っても、以前より驚かなくなってしまった自分がいる。感覚が麻痺する、ということは恐ろしいものである。

1 社会心理学の視点で、世の中を見てみる
 社会心理学では、少々乱暴な言い方をすれば、多くのものは富士山の形に近い分布をしていると考える。わかりやすい例を2つ挙げよう。一つは身長。成年男子の平均身長は170センチメートル前後で、その頂点から左右に徐々に低く散らばっていく。二つ目はテスト。答案を返すときに生徒たちが一番気にする「平均点」の前後に、母集団が形成される。
 しかし、社会心理学では、「はずれ値」というものが存在する。この「はずれ値」というのは、母集団(先ほどの富士山の形に近い分布)には含まれない値である。虐待、ニート、引きこもり、ネット依存も、昔は「はずれ値」だったが、今は、母集団の中に位置づけられるようになってしまった。

 神戸で起こった酒鬼薔薇聖斗を名乗る中学生による小学生連続殺傷事件は、この「はずれ値」の領域で発生した事件である。しかし、母集団の歪みは刻々と進み、「はずれ値」をも母集団の中に組み込んでいってしまう。社会心理学では、広範囲な社会現象が起こるとき、その原因は十年以上も前から発生していると考える。子殺し、親殺しが、はずれ値的存在から、母集団に組み込まれつつある現在、家庭教育の見直しが必要である。

2 親の条件付きの愛情は、不幸を生む
 A君の両親は共に教育熱心だった。しかし、彼は中学3年生から家庭内暴力を起こした。親の果たせなかった願望の肩代わりとして、親の自慢のために勉強し続け、遂に爆発してしまったのである。母親は、私との相談の中で「この子がいい大学に入れば、私の価値があがる」と言った。何という親のエゴだろうか。条件付きの愛は、後で悲惨な結果を生むことが多い。成績の良い子だけが私の子ども、大人しくて言うことを聞かなければ愛してあげない。条件付きの愛は、一時的には良い子をつくりあげるが、親の承認を必要としなくなった時、子どもたちは一様に荒れる。子どもは、本気で親が自分のことを考えてくれているのかを直感で感じ取るものである。
 
今日の子どもたちの姿は、われわれ大人が育ててきた結果である。子どもは、失敗、挫折を繰り返しながら成長していく。親は、人生の伴走者として、常に子どもの応援団長でありたい。

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