「行けない」から「行かなくてもいいや」の不登校 

 目次
1.なぜ、小学校から中学校になると不登校数が3倍になるのか
2.登校にこだわらず明るいA君の不登校
3.登校にこだわらない風潮と葛藤のない不登校
4.A君へのアプローチ
5.ぶつかることで成長する

1.なぜ、小学校から中学校になると不登校数が3倍になるのか

 先日発表になった文部省の学校基本調査で不登校が20万人を突破したとの発表があった。私は不登校対応に悩みながら、ひとつの疑問を持ち続けていた。なぜ小学6年生から中学1年生になると、不登校数が約2倍になるのか。これを中1ギャップと呼ぶ。中学生は思春期の真っただ中にあることは間違いない。思春期には、反抗期、自我の芽生え、第二次性徴、性的成熟、社会的促進などのキーワードがある。しかし、それだからと言って、不登校、いじめが倍増するよう印旛何かを探らなければならない。高校中退者は11万人を数えて、高校1年生での退学一番多い。いろいろないじめの研究では、いじめの発生率の高いのは4月、5月という報告がある。中学校1年、高校1年、4月、5月は大きな環境の変化に直面する。 つまり新しい学校への入学は、新しい環境での個と集団の葛藤の始まりと考えられる。新しい葛藤の中での圧迫感に押されると、人嫌いや引っ込み思案になりやすい。我々が中学校、高校に入学したときのことを思い出すことができれば、この心理状態は理解しやすい。思い出せない方は、自分が転勤したときのことを振り返るとよい。新しい環境では誰もが葛藤状況に置かれる。大人は釈迦かされているので引きこもりまでには至らないのであろう。小・中・高ともに校種間の文化の違いばかりが引き込もりの原因ではない。環境の変化による引きこもり体験は、子どもだけではなく大人ですら体験する、心理的な特性を持っているということを前提にしてものを考える必要がある。そのためには、知的側面の教育ばかりでなく、強い自分づくり、負けない自分づくりの教育が必要であることを強調しておきたい。

2.登校にこだわらず明るいA君の不登校

 神経症的傾向で引きこもりの強い不登校がなくなったわけではないが、些細な理由で学校を休み、登校にこだわらず、学校を休むことに罪悪感を持たない子どもへの対応が増加している。いじめや、友人・教師とのトラブルがあるわけでもないのに、ただ学校に行きたくないと訴え、欠席を続けるケースも多い。
 A君もそんな一人である。私は生徒指導部の係りとして、担任とともにA君にかかわった。中学2年のA君は、学校に行っていないことを除けば、まったく普通の子と変わらない。一緒に笑顔で食事をし、テレビや新聞も隅々まで読んでいて話題が豊富である。ただ学校の勉強にはまったく手を付けようともせず、一日中、YOU TUBEやゲーム、マンガといったダラダラした生活をしている。学校のことを話題にしたり勉強のことを言い始めると、急に黙り込んだり、スーッと自分の部屋に入ってしまう。
 家庭訪問をすると、拒否することもなく会え、意外に元気にしているために、怠けているのではないか、という印象を持ってしまう。家庭訪問で不登校の理由を尋ねると、「自分でもよくわからない」と素直に答える。しかし、それ以上の悩みや葛藤の言葉は出てこない。「いやなことは考えないようにします」と平気で言う。登校への誘いには、「まだそういう気持ちになれない」とうつむきかげんに拒むが、それ以外の話題には普通に話をする。閉じこもりが見られず外出も平気にし、登校を促すと素直に登校することもある。しかし、登校は長く続かず、学校に行かなければならないという強迫観念がみられない。学校では話し相手の友達もいて、一見楽しく学校生活を送っているようにも見える。
 家庭ではマンガやゲームばかりしているわけだが、「そんなに何時間もゲームを続けておもしろかい」と聞くと、「おもしろいからやっているのではないよ。これをやっていると学校のことを忘れていられるから」と言われ、ハッとした。ただ遊んでいるようにしか見えないゲームが、子どもにとっては、学校のことを忘れるためや、何も考えないための手段であり、自分を守るための道具であったのだ。まさしく自我の防衛である。黙々とゲームを続けるA君の心の叫びを痛切に感じた。
 A君の親の特性としては、つい先回りして葛藤させないように動いてしまうところが多い。親は子育てについての不安や心配から、子どもが悩む前に親が先回りして結論を出したり、子どもが悩むようなことや、子どもと衝突することを避けていた。葛藤の少ない不登校の家庭でも、親は何かと行かせたいと思っており、その思いは学校信仰ではなくて、一般的な道筋から外れたらどうしようという、不安からのあせりと思える。また、そのような不登校の家庭では、概して父親の影の薄い家庭が多く、子どもに積極的にかかわろうとしない。父親が生き方のモデル像とならないのである。彼らは小さいときから良い子で、親の言うことはよくきき、第二反抗期もそれほどでなく来てしまっている。A君の特徴である。自我のみ発達や社会性の未熟さは、そのままA君を包み込む家庭の特徴であった。この家庭の抱える問題や特徴を既成の枠に当てはめて理解するのではなく、この家族の持つ現実をあるがままにとらえることが必要である。

3.登校にこだわらない風潮と葛藤のない不登校

 「不登校はだれもがなりうる」という考え方の広まりが、不登校の子どもの葛藤を少なくしている要因の一つであろう。無理に登校させようとしないことで、子どもを心理的に追い詰めなくなったことは、子どもの精神衛生にとってプラスである。家庭の中では安心していられる条件が以前よりは整ってきたので、子どもの登校を巡って親との直接的な葛藤や「行きたいけどいけない」と葛藤しなくなってきた。不登校をしていることに対して、学校、地域の見方や対応から二次的に深く傷つくこともあったが、不登校に対してのまわりの環境は受容的になって、そういう二次的な傷が少なくなった。
 しかし、学校での対応で教師が登校にこだわらず、何も連絡しないことは本人や親に「見捨てられ体験」を与えるだけである。親自身が強く登校にこだわっていなくても、親は学校や教師に何とかしてほしいという気持ちが背後には必ずある。相手の訴えを十分に聞いて、本人の将来の見通しを含めての具体的な援助が必要となる。葛藤のない不登校の場合、葛藤する「核」になる部分があまりなく、しっかり葛藤できていないと思える。葛藤の部分を理解することが、ケース理解の大切な要素で、その理解をもとにかかわっていくと、子どもが動き出すことが多かった。しかし、最近は、その核の部分がつかめない場合も多い。
 不登校のことで家族と葛藤が起こった場合は、子どもは自分の部屋に閉じこもることが多かった。今はA君のように家の中では受容され、家が安全な場所になったので、自分の部屋に閉じこもる必要がなくなった。A君は小さいときから、対人関係の葛藤の経験が少なく、人との接し方は苦手で、親や大人の意見に従ってきたため、自我が十分には育ってはいないようだ。「このままでは自分がない人間になってしまう」という不安を無意識に感じ、それで前に進むことができなくなった。不登校は自我を守るための、やむにやまれぬ選択であったと推測する。葛藤を葛藤として悩めるほどに自我が育っていない。もし、葛藤に直面したら耐えきれず自我が崩壊してしまう。葛藤は自然に圧倒されて、あまり表面に出てこないのである。本当の問題に直面するのを避けて、自己を防衛しているのである。

4.A君へのアプローチ

 一見、A君の意思を尊重している寛大な親に見えるが、子どもと向き合おうとしておらず、形を変えた無視とも受け取れる。つまり、愛情をかけているようで、本質では子どもを拒否している。このような状態を二重拘束(ダブルバインド)という。この状況下では、子どもは精神の安定を保てず、不適応を起こしやすくなる。まず、親との面接を通じて、アプローチを開始した。親にはA君との建前の会話ではなく、本音の対話を求めた。また、A君が無気力にならざるを得ない背景を考え、今まで満たされなかった自己肯定感を満たし、励ましながら小さな成功を体感させ、自信をつけることが必要であった。今後のアプローチの見通しを伝え、親の不安を軽減するとともに、今後の希望を与え、とことん付き合う覚悟を親に提示した。その安心感がA君によい結果を与えた。
 もし葛藤が認められるならば、面接によって、無意識に隠され抑圧された部分が、現在の状態・感情・情緒的なものと結びついて言語化されてくるはずである。葛藤が十分にできてない自我の構造ならば、受容し寄り添うことを第一にすべきある。なぜなら、彼らの弱い自我は他者からの進入に、すぐ防衛し閉じこもってしまうからである。それもA君が受容できる範囲の葛藤であり、かつ、A君の心を揺さぶることができるものである。節目を生かすことは効果がある。人に対する安心感や信頼感を取り戻し、気持ちが落ち着くと、もう一度やり直してみようという気持ちが出てくる。学問、学年、中学校卒業、高校入学など節目はいろいろある。
 A君は中学3年生の夏休みに、農場を営んでいる祖父の所で生活した。もちろん、そのねらいは親には了解済みである。そこで、牛を飼育し、若い従業員とも語らい、祖父夫妻とともに過ごし、汗をかき働く喜びを体験した。A君はそのごほうびとしてもらったお金で、大好きなラジコンカーを買った。この体験はA君に働くことの意味づけをし、また、親とは別の大人を体験しモデル化した。
 また、A君はあまり乗り気ではなかったが、特別にある高校の体験入学を担任と私の3人でさせてもらい、揺さぶりを促してみた。
 私のクラスでは卒業生が来て道徳の時間に自分自身を語ることがある。そのなかで非行や不登校から立ち直った生徒や、すし屋に就職し社会で懸命に生きている卒業生をビデオに収録してある。身近な母校の卒業生の話は子どもの心に響き、学校不適応改善の気づきとなることがある。A君には不登校から立ち直った母校の先輩が、以前、道徳で話してくれたビデオを見せた。
 いろいろなアプローチを展開したが、基本的なねらいは人生の位置づけを示すことである。自分はどう生きるべきかを、逃げずに自分と対話していくのである。納得と説得は違うものであり、意味がわかれば行動は変容できる。A君は最終的には、定時制の高校に合格したが、1年の2学期には自主退学してしまった。しかし、自動車修理工場でアルバイトをしている。何かホッとした気持ちになった。これがA君の自立への第一歩なのだと納得した。

5.ぶつかることで成長する

 今日の子どもたちはブラックボックスにいると言ってもよい状態である。そこは、大人社会から遮断された特殊な世界である。暗闇では必ず手を伸ばし、壁を探し、壁にぶつかることにより自分の位置を確認する。思春期の子どもは何かにぶつかることにより、自分の位置を確認する自己確認作業をしている。そのぶつかりは親や教師への反抗もあれば非行もある。そして、葛藤の少ない不登校の場合もある。子どもは、失敗や回り道や無駄なことをして学ぶのである。失敗することも保障してあげないといけないし、失敗がチャンスの基となる。ただし、その失敗に対しての対峙する促し、援助を忘れてはいけない。

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