現実と向き合う、子どもは親の鏡

1 5080問題、親80歳、子ども50歳で、引きこもり 
 数年前、ある街の講演に行き、その街を散策していた。そこには大きな市民会館があった。見るとご年輩の方々がその市民会館に向かって大勢歩いていた。大物演歌歌手のコンサートでもあるのかと思い、その集団の波に加わり市民会館に向かった。そこは、ニートの子どもを持つ親の会の集まりだった。「私は80歳で息子は50歳になります。働いてくれないか言うと殴られました」「息子は私の年金を当てにしています。私が死んだら、息子がどうなるのか心配です」と切実な叫びがありました。いわゆる5080問題である。隣の席の老夫婦は、私に声をかけてくれた。「お兄さん、偉いね。ニートなのによくここまで来られたね」私は苦笑するしかなかった。「働かざる者食うべからず」は死語になったようだ。
2 ニート≒若年無業者71万人への巨額の税金投入
 ニート(NEET:Not in Employment,Education or Training)の定義はいくつかあるが「就職もせず、学校にも行かず、就職活動もしない若者」のことをいう。内閣府では、子供・若者白書では類似概念の「若年無業者」とし、定義は15~39歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない人としている。内閣府の調査で若年無業者は、平成30年で71万人いると言われ、15歳~39歳に占める割合は2.1%であった。つまり、小中高の40人学級なら、1.9人が将来、働かない可能性がある。

 政府はニート・フリーターへの対策を含めた「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン」という政策を実施したことがあった。平成18年761億円、17年度756億円の税金を投入している。いくら税金を投入してもニートは増え続けた。民主党政権では、いわゆる仕分け作業で、このアクションプランは効果なしと判断され大幅な縮小になった。 

 独立行政法人労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子氏は、ニートを4つの型に分けられている。今が楽しければいいやという<ヤンキー型>、社会との関係が築けず家にこもる<引きこもり型>、就職を前に臆病になる<立ちすくみ型>、いったんは就職するが挫折してすぐ仕事をやめてしまう<つまずき型>。つまり、勉強ができても、就職ができてもニートになる可能性はある。どのニートの型も、親も本人も問題を先送りしがちになるという点では共通している。親が健康なうちはまだいいが親もいつかは先立つ。その後はどうやって生活するつもりなのだろう。 

4 私はマー君のファン 私は北海道出身です。
 2005年、夏の甲子園決勝では、駒大苫小牧の田中将大投手、早稲田実業の斎藤祐樹投手が投げ合った。夏は熱くなった。道民の大多数が手に汗握り、声を枯らして応援したに違いない駒大苫小牧の決勝再試合。試合終了後には悔し涙で天を仰ぐ選手たちもいたが、一夜あければ、皆清々しい笑顔を見せていた。それは力を出しきった者だけができる表情だった。駒大苫小牧の香田監督は、田中投手にこう言ったそうだ。「みんな、おまえの背中を見て、守っている」と。この言葉を胸に、彼はマウンドで数々のピンチをしのいできた。ノーアウト満塁であっても、次の一球を投げなくてはならない。逃げることは許されないのだ。その努力、精神力が土台となり、プロ野球に進み大リーグでもたくましく成長したのだと私は思う。
 ピンチから逃げない自分になること。現実と対峙できる自分になることが必要である。直面する問題、課題をしっかり受け止め、向き合うことにより、たくましい心が育つ。人間は失敗や挫折を繰り返しながら成長していく。そう考えると、ピンチは成長のための贈り物である。たくましく生きていこう。素敵な人生は、自分たちの手で掴み取っていくのだ。

5 挫折や失敗は、成長のためのチャンス
 心が育つとは、人格的に成長することである。困難な現実に直面しても、現実と対峙できる自分になることである。挫折や失敗は、成長のためのチャンスである。長い人生、敗者復活戦は必ずある。問題を乗り越えた若者をたくさん知っている。「失敗したらどうしよう・・・」と悩まずに「成功したらどうする?」と夢を持てもらいたい。学校教育にも様々な課題はあるだろうが、今日の青少年の問題で一番重要なのは、家庭でのしつけである。挨拶、時間を守ること、善悪の区別、言葉づかい、うそをつかない等、当たり前のことである。
 子どもたちは集団の中で、ケンカをしたり、助けられたり助けたりしながら人間関係を学んでいく。これらは幼児期、児童期に身に付けなければならない課題である。親は、失敗を成長のチャンスとして捉えるだけの余裕をもって子どもに接しなければならない。子ども自身が解決すべき課題を、親が先取りしてはいないだろうか。

6 子供は親の鏡
 直人(仮名)の母親は、中学校の保護者懇談会で、「家では勉強させますから、学校ではしつけをお願いします」と平気な顔をして言っていた。直人は成績も良く進学校に入学したが、些細なことがきっかけで不登校になり、家庭内暴力を引き起こすようになった。母親を階段から突き落として、手当たり次第に物を投げつけ、父親は、たまらず警察に通報した。母親は退院後、私にポツリと言った。「直人の姿は私たち親が育ててきた結果なんですね」。
 心理学では、子どもの問題は親の子育てが影響していると考える。純真無垢な赤ちゃんは、勝手にニートにはならない。ましてや非行や援助交際に走ったり親殺しをすると誰が想像できるのか。親の影響は確かである。過保護、過干渉、あるいは無関心になってはいないだろうか。子どもの問題を学校や教師のせいにしていないだろうか。子どもに生きていくたくましさを教えているだろうか。親自身が変わらなければ、子どもは変わらない。実はこれが一番難しい。

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